想い出

 部屋に飾ってあるFFの写真を見ながら昔を思い出した。

1982年からフイッシングで連載が始まり高野建三との長い付き合いが始まった。

 1984年頃、月間フイッシングの連載依頼があり当時、アウトドア、フイッシングシーンで活躍中の写真家、高野建三と4年近く、『あの渓の食性探険』『大人の休日』取材で青森県から和歌山県まで二人で様々な渓を巡った。
 彼も無類の釣り好き、常にフライロッドを握り首からカメラ、ベストに交換レンズで入渓した。

 当時のフイッシング編集長、吉本万里さんに『建ちゃんにたまには、ロッドを持たずカメラだけで・・』なんて頼まれた事があった。
 当人は『釣りが先か?写真が先か?』とか言いながら 入渓してた。
 確か、山形県に行った時、 到着した日はやたらフライに高反応、『今日は釣ろう!写真は明日、明日!』と二人で釣りまくり…夜半から雨になり翌日は大増水で釣りに成らず…撮った写真は4カット。
 飛騨の小鳥川の取材では40cmクラスのイワナが淵でライズを繰返し、『これはフライを食う瞬間が撮れる!対岸に渡り、合図したらキャストしてくれ!望遠レンズで狙う!』と打ち合わせ、彼は遠巻きで対岸に・・。
 合図を確認しキャステング。ライズポイントの1m上手にプレゼンテーションし読み通り、イワナを掛ける!
 手元に寄せてランデング。

岩手県、気仙川でヒカリの取材。ぶつぶつ言いながら建三さんは撮影してました。

『デカイ!』『写真撮れた?』『魚に見いってしまい、シャッター押せなかった…悪いがフライを外れ無いよう掛けてもう一度流れに入れてランデングしてよ…』
 撮れた写真は臨場感無し・・てな事もあったな。
 何だかうまがあい30年以上付き合いは続き我が家の娘経ちに建造ジイチャン何て呼ばれ目尻を下げてた。彼は数年前に天国に旅立ち、今では彼との釣り、喧嘩した事も良い想い出になってしまった。

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